『風姿花伝』から想いつづけていること。

暑中お見舞い申し上げます!

*** セラピストの不養生 ***

 

私は今年で42歳になります。

 

セラピストとして働きはじめて約16年、
店舗で約5年、
独立して約11年が経ちました。

 

30代後半くらいからでしょうか、
自分のからだの変化を感じはじめました。

 

なんだか疲れている時が多い気がする…。
寝るだけでは回復が追い付かないなぁ。 

 

3~4年ほど前の年末年始のこと。
毎年恒例の繁忙期です。

 

からだの回復が追い付かないこともあり、
風邪からの喘息が悪化。

 

お客様から紹介していただいた
漢方医の先生に診察していただきました。

  

『まだ大丈夫は、もう大丈夫じゃないからね。』

 

『アラフォーが20代の頃と同じ働き方をしていたら、
これから更年期もっと大変よ。』

 

確かに…。

 

その年の夏は、ほんとうに昼夜お構いなしに、
働きまくっていました。

 

サロン施術は勿論、炎天下に自転車移動で出張施術も。

 

夜は港区のホテルを電動自転車で出張で飛び回り、
猛ダッシュで終電に飛び乗り午前様。

 

食事の時間がないと、コンビニのおにぎりやお菓子で済ませるといった有様。

 

あぁ、まったくセラピストの不養生の典型だったのでした。

 

「夏の疲れは、秋になると出てきますからねー。」

 

なんて、毎年お客さまにお伝えしているセリフが、
ブーメランになって自分に返ってくるとは。

 

更に追い打ちをかけるように
久しぶりに会った友人からは2倍老けたなんて言われてしまい涙。

 

どうにかしなければ!
と、生活の改善に取り組みはじめました。

 

しかし、コロナの状況になる前のタイミングだったのでよかったなー、
なんて今になると思います。

 

寧ろ、コロナの状況がその後にきてくれたお陰で、
より一層に自分のからだと向き合う機会をもらうことができました。

 

そしてなにより、大変でもやっぱり楽しかったので 。
あの体力があったときに無理したこともよかったです。

 

陰陽一体、ネガティブな面には必ず良い面もあるものですね。

 

*** 風姿花伝から学ぶ変化のタイミング ***

がらりと話が変わります。

 

『秘すれば花なり』

 

というフレーズを耳にしたことがあるでしょうか。

 

伝統芸能の能の心得として世阿弥書いた
「風姿花伝」の一説です。

 

世阿弥がいうこの「花」とは

 

「観客の感動を呼び起こした状況」

 

を意味するそうです。

 

自分の理想を表現するにとどまらず 、
その瞬間に観客が何を望んでいるのか、
舞台という刹那に向かい合う。

 

『命には終わりあり、能には果てあるべからず。』

 

一生をかけてどこまでもより高見を追求し
いつでもその時の人の“好み”に
合わせていくことの必要性を世阿弥は説いていました。

 

うーん、セラピストにも響きますね。
生涯学びがあるというのは苦しくもありますが幸せですね。

 

この風姿花伝の第一章は「年来稽古条々」
(ねんらいけいこでうでう)といい、
その年齢に適した稽古方法などが、
7段階に分かれて説明されています。

 

これがまた突き刺さるのです。
まさに人生論そのもの。

 

その7段階の中で、丁度、
世阿弥が風姿花伝を書いたであろう年齢の時期
の壮年前期(34~35歳の頃)の記述にこんなくだりがあります。

 

『上がるは三十四、五までのころ、下がるは四十以来なり』

 

訳: 上達するのは34~35歳くらいまで、40過ぎれば落ちる一方である。

 

ぎゃーっと
リアルすぎで叫んでしまいそうですね。

 

さてさて、壮年後期(44〜45歳の頃)
はなんとあるのやらです。

 

『この頃よりは、能の手だて、おほかた変はるべし。』

 

訳: この頃からは、能の演じ方が大きく変わるはずである。

 

ふむふむ。

 

『能は下がらねども、力なく、やうやう年たけゆけば、
身の花も、よそ目の花も失するなり。』

 

訳: どんなに極めた者でも衰えが見えはじめ、
「花」が見えなくなってくる。

 

からだの衰えには逆らえないってことですね。。
それを自覚し受け止めることは大事ですね。。。
そして要約すると、こんな内容で続いていきます。

 

『この時期にまだ花が失せないとしたら、
それこそ「まことの花」である。

 

しかしだとしても、この時期は、あまり難しいことはしないで、
自分の得意なことをすべきである。

 

自分のからだの状態をしっかりと認識し、
今何をすべきかを心得る人が、

 

真の芸を会得した、真の名手である。』

 

またこの時期は、後継者の育成をすべき時だとも記しています。
気力と体力がまだまだあるときに、
伝えるのが大切ということですね。

 

『ワキのシテに花をもたせて、
自分は少な少なに舞台をつとめよ』

 

うーん、まさにからだから変化のタイミングを警告されたので
耳がいたくなります。

 

*** これから先も、ずっと ***

これまで歩んできたセラピストの道のりを振り返ると 、
今でも独立してこうして続けてこれたことが、奇跡的で不思議です。

 

私はどちらかというと、小柄で落ちこぼれ、
心身疲れきっていた、どこにでもいるようなセラピストでした。

 

上達も人より遅く、
お客様への施術デビューもなかなかできませんでした。

 

でも、そのお陰で、
色々な店舗で、沢山の先輩方に練習をみていただけました。

 

いろんな場所に勉強しに行くことで、
出会いも沢山ありました。

 

骨折したこともあり、体のバランスも良くはありません。
柔軟性がありすぎるので、整えてもすぐに崩れてしまいます。

 

生物としてはどちらかというと、弱いほうかなと思います。

 

でも、そのお陰で、
お客様の痛みにリアルに寄り添うことができました。

 

常に自分のからだを意識していないと、
すぐに体調にあらわれるからこそ、
いかに効率的な体の使い方で、
深い心地よい施術をするかを模索することができました。

 

のんびりペースで、できないことだらけなのに、
どうにかここまでこれたのは 、
出会った沢山の方々に支えられていたこそです。

 

でも、一見すると不利なこれらの私の特性が 、
なんだかとても役に立っていたようで。

 

そしてなにより、施術でお客様に会うのが
唯々楽しかったのです。

 

施術の後のお客様の明るい表情の変化を見るのが
本当に好きです。

 

だから、施術者というプレーヤーでずっといたいと、
ずっと今でも思っています。

 

前述した風姿花伝の第一章は、
頭の片隅いつでもにありました。
私はそろそろ壮年期の頃。

 

自分自身がこれから先も、
元気に楽しく施術をし続けていく為にも
変化の時期がきたのだなと思います。

 

風姿花伝のあと、世阿弥が40歳の頃に書いた
「花鏡」の中の言葉で

 

『是非の初心忘るべからず。
時々の初心忘るべからず。
老後の初心忘るべからず』

 

とあります。

 

「老年期になって初めて行う芸があり、初心もまたある。
年をとったからとか、完成したということはない。」

 

といった意味合いだそうです。

 

折り返し地点のスタートなにをはじめましょうか。
近頃は、日々作戦会議です。

 

人間には恒常性という、生命維持のために一定に保つ機能があります。

 

安定や変化のないことに安心できるのは、そのせいなのでしょう。
でも、変化していくことは、怖いけど、ワクワクします。

 

「老年期になって初めて行う芸があり、初心もまたある。
年をとったからとか、完成したということはない。」

 

生涯未完成で楽しみます。

 

冒頭にありました『秘すれば花なり』という一節ですが
続きは、また。
2022年07月27日 | Posted in | タグ: , , Comments Closed 

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