逃げるとどうにかなる不思議。

江原公園のワンパクプール🐬

炎暑とまでいわれるようになってしまった日本の夏真っ盛り、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
こうも暑いと、潔くいろいろと諦めてしまうかんばやしです。
こういう夜は、熱めの湯船でのんびりしてから、クーラーと扇風機で冷や冷やの部屋で、長袖長ズボンにふわふわと布団にくるまってゴロゴロするのが大好きです。

暑さから逃げて、心地よいを自分にあげられる幸せを存分に堪能します。
 
(・´з`・)
 

今回は、暑さから逃げた昔ばなしをおりまぜて
「逃げる」をテーマにひとりごとです。

 

薙刀と剣道の稽古から逃げる。

先日の都知事選で母校の体育館にいきました。

驚いたことに、つい数年前まではなかった巨大な冷房器具が設置されていました。

30年前の気候とはまったく変わってしまったのだから、当然のことですね。

 🌻 

当時、中学生の頃の部活動でかんばやしは、剣道部に所属していました。

選んだ理由は、小学生~高校の時代、薙刀の道場に通っていたからです。

防具や道着の使いまわしができるし、似ている競技だからどうにかなるだろうという安易な発想でした。

 

しかし、夏休みの練習になり深く後悔しました。

 

今よりは断然に涼しい気候だったとはいえ、真夏の蒸した体育館と道場で、汗臭い防具をさらに汗で濡らし続ける稽古は、なかなかの地獄だったからです。

暑いし、痛いし、苦しいし、臭い。

どうしてわざわざ苦しみをを増やす選択をしてしまったのか。。
  

逃げたくなったけど続けた理由。

今だったら正直、絶対にかんばやしは剣道も薙刀ももうやりません。

そうおもうくらい辛かったのに、なぜかずいぶんと長く続けていました。

薙刀は、小学一年生から高校2年の夏休み前まで続けていたから、そこそこ長かったといえるでしょう。

 🐳 

なぜかといえば、友達や先輩のお姉さんたちとの人間関係がとても楽しかったからです。

稽古自体が厳しくて辛くても、それ以上に好きな人たちと稽古をすることが、ただ単純に楽しかったのだとおもいます。

しかし、それは子供でいられたときまででした。

 
 

やっぱり結局逃げた理由。

学年があがるにつれて、他の道場との合同練習や東京都の強化練習などと、より過酷なうえに長時間の遠征稽古に半強制的にいくようになりました。

そこでは先生や先輩への挨拶の順番や姿勢・礼儀などの何もかもがより厳しくて、外にだされたことですこしずつ人間関係や空気を読むことを理解するようになったのでした。

 
今になってみると、社会を学んだよいきっかけではありました。
 

しかし、自由に勝手であることを小さい頃から好んでいたかんばやしには、派閥やヒエラルキーがある道場という場所は、段々と居心地が悪くなりました。

なので、少しずーつフェードアウトしながら、大学受験を口実になんとなーくそこから逃げだしました。

 

とりあえず、逃げる人生。

そう、おもい返せばかんばやしの人生は逃げっぱなしなのです。

自転車の練習から逃げ
部活から逃げ
高校受験から逃げ
道場から逃げ
大学の卒業制作から逃げ
就活から逃げ

苦手な人間関係からも逃げました。

 ✈ 

とにもかくにも、頑張ることや居心地の悪さから逃げまくり、今に至ります。
  

逃げることは生き物として当然。

逃げたことで、反省点はありますが、後悔はしていません。

過去にタイムリープしてしまったとしても、また逃げるとおもいます。

 

嫌だったら、辛かったなら、とりあえず逃げることもよしとする。

 

逃げることは、そのとき必要ならそうしたほうが良いし、幸せになりやすいとおもいます。

そのとき心地よく安全なほうを選ぶことは、生命維持のためであり生き物としての当然の選択です。

後ろ指さされることもあるかもしれませんが、指すひとは所詮他人ですし指ですから

死にはしません。
  

最優先事項。

夏が好きー!

じぶんだけは、
いつでもどこでも味方で理解者でいてあげる。

むしろそうでなければ、
確実にいつまでも幸せにはなれない。

 
 

じぶんの安心安全は、
生命維持と幸せにつながり

じぶんの生命維持と幸せは、
一番身近な大切にしたい人のそれに繋がる。

 
 

さまざまな時間と出会いは、度々そう教えてくれました。

 

大切にできるのは、じぶんと半径3mくらいとどこかでききました。
そうかもしれないとおもいます。

 
それが波紋のようにつながるならば、幸いなこと。
 

だから、かんばやしは常に退路を確保、トットコスタコラ逃げ足がとても速いです。

 

咲きたいこと・咲きやすい場所で、咲く。

にもかかわらず、
頑張るとか、一生懸命とか根性や努力といった呪いのような言葉たちのことは、育った時代背景の影響なのか、実はそんなに嫌いではありません。

嫌いではありませんが、
それはじぶんの好きなもの・心地よい環境においてのみに限定されるのだと最近つくづくおもいます。

  

努力が努力でなくなる。

翡翠カズラ

そういう設定においての頑張りや努力は、
もはや夢中になれる楽しみやライフワークにさえなってしまうこともあり、なんたる幸せ感謝しかないというわけです。

かんばやしは、ひだまりを生業としていますが

「よくひとのからだに触れるね」

「重労働だね」

とのお言葉を頂戴することもあります。

まったくもって、そのとおりです。

好きでない楽しくないひとからすれば、施術をすることは間違いなく苦しい肉体労働です。

切れ痔で苦しんだデスクワークからの、セラピストへの転職当初は、正直いいますと向いてなかったかな失敗したかなとおもったこともありました。

  

細ーく、長ーく、なんとなーく。

最後の― 花火に― 今年もー ナッタナー…

こんなに長く続けるとおもってもみなかったし、好きかもよくわからすに執着心もなく、なんとなく気が付いたら早18年。

施術をはじめると時間を忘れてしまうから、おそらく好きなことなのでしょう。

この仕事との出会いのきっかけも、おもえば前職から逃げることがはじまりでした。

そして、頑張ることから逃げ続けることで、沢山の方々に助けられ支えていただき続けさせていただいています。

 

頑張らないことを、頑張るというパラドクス。

逃げるとどうにかなるという不思議。

 

人生はやってみないとわからないものですね。
本当にありがたいかぎりです。

さて、次回は

かんばやしに逃げることを勇気づけた言葉などをご紹介します。

ではでは、また次回に🍉

ひだまりかんばやし

 

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